Anime Quester

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躁(今週見た映画の善悪≒断定ラインについて思い付きで書く)

サバゲ―人気を引き出すまでもなく「パッケージ消費よりリアルエンタメ」という潮流、そしていよいよ広まるVR
映画という娯楽に残された特異性は、「2時間前後、自分とは全く関係ない架空の登場人物の物語に、受け身で付きあうこと」に収支していくような気がしている。
(同じ映画でも、既に共有された文脈を、改めて他人と味わうことに喜びがある「応援上映」だったり「ディズニーによる実写化」的な流れは、リアルエンタメ潮流で片付くと思っている。)

そして映画について。
「アメリカ人はバカだから、善悪がはっきりしたヒーロー映画が好きなんだ」という批判は、複雑な物語へ向かうマーベル映画1本で批判可能。
それを踏まえたうえで、物語、すなわち何かを語る(≒断定する)という娯楽を、私たちはなぜ必要とするのだろうか。誰のために映画はあるのか。

 ☆『孤狼の血
80年代末の広島を舞台に、大卒の(相対的)エリート新人刑事が、ヤクザとの癒着を噂されるベテラン刑事と組まされながら、ヤクザ同士の抗争に巻き込まれていく話。

一見複雑に見えて、とてもシンプルな、善悪の話。
小指を切る、豚の糞を食べさせる、睾丸を取り出す、殺したうえに生首と胴体を切り離す……といった暴力表現の嵐に、一瞬「この世に善悪の別なんてどこにもないんだ……」と、地獄に落とされた気分になるが、この気分の体現者たるベテラン刑事が「実は、堅気の生活を守るために綱渡りを繰り返していた真のヒーロー」=圧倒的善、と判明してからの展開が単調に思え、個人的には物足りなかった。

 

☆『ピーター・ラビット』
イギリスの名作絵本が、ハリウッドで初実写映画化。予告編が公開されるや否や、原作と余りにかけ離れた「パーティ野郎ウサギ」のテイストが、物議を醸す。

予告編からは想像しなかったアウフヘーベンに感動。
冒頭、麗しいミュージカルを披露する鳥たちを、野原を駆け巡るウサギが轢逃げっぽくぶちのめす描写が端的に示す通り、第四の壁を破ったり、御伽噺的な常套手段をネタにしたりと、『シュレック』に近いハチャメチャなノリが続き、とても楽しかった。
ストーリー自体は、野生動物をこよなく愛す、心優しい画家の女の子をめぐり、都会から引っ越してきたマクレガーの孫とパーティ野郎ウサギが三角関数になるという、「どうしてこうなった?!」「よく権利元が許したな?!?」アレンジ。マクレガー孫もピーターラビットも、互いに相手の死を目的に喧嘩(=善悪を巡る戦争)を繰り広げるが(笑)、決定的な破壊行為を通じて女の子との日々のかけがえのなさに気付き、対立を克服する。
マクレガー孫にとっての正義、ピーターラビットにとっての正義を、入れ替わりで見せてくるのが面白いうえ、「愛」という第三のルールによって善悪の前提が壊れる展開が鮮やかだった。これがもしディズニー映画だったら、「マクレガー孫かピーターラビットに深刻な問題が起き、どちらかが心を入れ替え、敵に塩を送る」的な、あくまでルールを踏まえたうえでの成長になる気がする。
ルールが壊されるのは痛快。

 

☆『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』
アメリカ人として初めてトリプルアクセルを決めるも、ライバル選手の膝を打撲した事件に問われ、世間からバッシングされるに至ったフィギュアスケート選手を描く、実録スポーツ映画。

事件から数十年経った「ドキュメンタリー番組」パートと、実際の事件に至るまでのパートを、交互に語っていく。
決定的な事件はありつつ、「答えは藪の中」(たとえ真犯人という存在がいたとしても、真実は事件関係者個人によって違う)というスタンスを貫き、ときにはブラックコメディ仕立てで淡々と状況を描写する姿勢に、素晴らしさと切なさを感じた。
「世間的には悪と報道されたトーニャ選手の真相に迫る」レベルに加え、「トーニャ選手がそのような疑惑を持たれるに至った原因は何か」「その原因をもたらした人間は、なぜそうなってしまったか」も追い、それでも明確な答えは出ないまま、最後に淡々と流れる"The Passenger"……!

We'll be the passenger (僕たちは皆、流れ者)
...
We'll see the stars that shine so bright (それでも、今夜の星空はとても綺麗だね)
Stars made for us tonight (あの星空は、僕たちだけのものなんだ)

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充足理由率という概念があるそうです。
わが身にふりかかる過去・現在・将来のことだけでなく、宇宙が生まれてから消えるまで、全ての現象が、何かしらの手順で説明でき、結論づけられる。卑近ながら、何となく理解してしまいたくなる説なのが怖い。生まれた家庭や国や時代は選べない。

そこから逃げる自由、つまり、うだつの上がらない現実や過去や未来を断定してくる世間という物語から逃げる喜びを多くの人に映画は提供したから、一時スクリーンはみんなの夢になったのか?